崇徳天皇の御廟所なり。 建久二年崇徳院近習、遠江亜闍梨章実は、鼓丘の木丸殿を当山に移して法華堂を建て、崇徳院の自画像を奉安して朝夕菩提を祈る。第百代後小松天皇は応永二十一年この堂に「頓証寺」の勅額を奉納し給いてより頓証寺殿と称す。 中央に天皇の尊霊、向かって左は鎮守白峯大権現、 向かって右は御念持仏十一面観世音を祀る。 建物は延宝八年(1680年)松平頼重、頼常両公の 再建なり。 傍らに西行廟参の遺跡あり。 西行法師石像を安置す。 歌碑に日く。 よしや君 昔の玉の 床とても かゝらん後は 何にかはせん
この歌は西行が上皇のご霊前に捧げた鎮魂絶 唱の歌として今に広く知られる歌である。
また、江戸時代に上田秋成によって書かれた 代表的な読本(よみほん)、『雨月物語』には、 第一篇、『白峰』に、西行法師が讃岐国にある 旧主崇徳上皇の陵墓、白峰御陵を訪れて崇徳上皇 の亡霊と対話するという話が描かれている。