THE GROUNDS
境内のご案内
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本堂(重要文化財)HONDO
入母屋造の本堂は本尊千手観音菩薩を祀っているので観音堂とも呼ばれ、後嵯峨院の勅号により千手院とも称す。開基以来、数度の火災により消失し、現在のお堂は慶長4年(1599)生駒近規公によって再建されたものである。本尊千手観音菩薩は智証大師(円珍)と、当山鎮守白峯大権現(相模坊)の合作とも伝えられ、脇侍として愛染明王、馬頭観音を祀っている。
子年生まれの守り本尊・七福神のうち毘沙門天 -
大師堂(重要文化財)DAISHIDO
宝形造の大師堂は、文化8年(1811)高松藩主松平頼儀公の再建されたお堂で、中央に弘法大師、左に稚児大師像、右に庚申の本地仏青面金剛が三猿と共に祀られている。
七福神のうち大黒天 -
阿弥陀堂(重要文化財)AMIDADO
万治4年(1661年)建立で、陶製の露盤、宝珠を戴く宝形造である。中央に阿弥陀如来、脇侍に勢至菩薩、観音菩薩を安置し、背後に千体の阿弥陀仏を安置するため別名千体堂とも呼ばれ、境内最古の建物である。
午年、戌年、亥年の守り本尊・七福神のうち布袋尊 -
行者堂(重要文化財)GYOJADO
安永8年(1779年)再建で、入母屋造である。中央に役行者、周りに閻魔王、十王、司命、司録、脱衣婆、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩を安置し、黒漆塗と極彩色を施された厨子を備える。
丑年、寅年の守り本尊・七福神のうち寿老人 -
薬師堂(重要文化財)YAKUSHIDO
江戸時代後期の建立とみられ、一層目には裳階を備え、二層の多宝塔形式の宝形造りである。中央に薬師如来、脇侍に日光菩薩と月光菩薩、手前に眷属の十二神将、向かって左側に金剛界大日如来、向かって右側に胎蔵大日如来を安置しており、全体を黒と赤色で彩色する禅宗様を基調とした壮麗な厨子を備える。
未年、申年の守り本尊・七福神のうち福禄寿 -
護摩堂GOMADO
昭和61年(1986年 )建立の護摩堂は中央に五大明王、毘沙門天、左に普賢菩薩、弘法大師、蔵王権現、右に阿弥陀如来、歴代高松藩主、歴代先師の位牌を安置し、堂内にお守りの授与所、納経所を併設している。本堂、大師堂は長い石段の上にあるため、足腰に不安がある方は堂内の中央に本尊と向かって左側に大師像の分身があり参拝できる。元の不動堂は高松市塩江町の最明寺に移され、観音堂としてお祀りされている。
辰年、巳年、酉年の守り本尊 -
頓証寺殿(重要文化財)TONSHOJIDEN
延宝8年(1680年)建立の崇徳上皇の廟所である頓證寺殿は南面し、文殊菩薩を安置する拝殿の後方に東から念持仏十一面観世音菩薩を祀る本地堂、崇徳上皇を祀る上皇殿、鎮守白峯大権現相模坊を祀る権現堂を配し、拝殿と各堂社を渡廊下で接続するという特異な形態の複合建築である。神社本殿と仏堂の形式を混用した全体構成を持ち、各棟の形式と細部に格式と気品を備えるなど、崇徳上皇崇敬の様相を伝える、稀有な遺構である。
卯年の守り本尊・七福神のうち恵比寿天 -
勅額門(重要文化財)CHOKUGAKUMON
延宝8年(1680年)建立の勅額門は細部意匠などから頓証寺殿と一連の造営と考えられる八脚門である。また重要文化財の勅額自体は宝物館にあり、門にはレプリカが掛けられている。向かって左に源為義、右に源為朝の武者像が現在も崇徳院を守護している。なお、現在の像は新たに造立し寄進された像で、元々の像は金刀比羅宮の白峰神社に明治31年に移管され、戻されていない。
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七棟門:山門(重要文化財)NANAMUNEMON:SANMON
この山門は江戸時代後期の建立とみられ、切妻造の高麗門で両脇に袖塀を延ばした珍しい門で棟数が全部で7つあることから七棟門と呼ばれており、白峯寺の名物の1つである。嘗ては境内の前後に延びる参道途中に数多くの塔頭に合わせて大門や中門が立ち並んでいたが、時代と共に無くなり今はこの七棟門が山門となっている。
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勅使門(重要文化財)CHOKUSHIMON
江戸時代後期の建立で、切妻造である。嘗ては都からの勅使が来た際に使用されていた。
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御成門(重要文化財)ONARIMON
享保9年(1724年)建立された御成門は藩主の御成を想定した客殿の構成用の1つとされ、勅額門同様に技巧的な軸部を構成し、中備の蟇股に仙人を彫るなど、軸部、細部ともに格式高く作り込まれている。
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客殿(重要文化財)KYAKUDEN
入母屋造で六間取り形式の客殿は頓証寺殿が整備された延宝年間頃に建立され、18世紀中期頃に大玄関を増築したと考えられる。指定文化財では県下2番目に大きく、四国地方では希少な客殿建築であり、藩主の御成を想定した上質な室内構造をもち、御成門と共に壮麗な表構えを形成している。
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廻向堂EKODO
平成15年(2003年)建立。中央に阿弥陀如来を安置し、本体納骨、分骨納骨、納牌供養にお申込みされた方々の霊を永代に祀るお堂であり、裏には合葬墓、墓地を備える。
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宝物館HOMOTSUKAN
平成15年(2003年)建立した拝観型のお堂で、重要文化財指定の「勅額」をはじめ、各指定文化財や崇徳天皇にまつわる寺宝などが展示されている。
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鐘楼堂SYORODO
参拝の際に実際に撞くことができ、大晦日に行う除夜の鐘の行事もここで行われる。
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水子地蔵(手水舎)MIZUKOJIZO(CHOZUSHA)
昭和56年(1981年)建立で、申し込みの水子地蔵奉安場所である。また元々境内中にあった五輪塔などを集約してお祀りしている。手水舎を併設しており、石桶にも明治時代の廃仏毀釈の名残を忍ばせる。
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善如龍王堂ZENNYORYUODO
安永6年(1777年)再建である。古来より地域における雨乞祈祷の場所として信仰を集めおり、記録によると昭和後期まで行われていた。
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地蔵堂JIZODO
石仏の地蔵菩薩を安置する。軒先瓦には明治時代の廃仏毀釈の名残を忍ばせる。
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弁天堂BENTENDO
19世紀前期の建立で、元々の本尊である吉祥天像は県指定文化財のため宝物館に移す代わりに、複製像を安置している。
七福神のうち弁財天 -
西行法師像と遥拝所SAIGYOHOSHIZO AND YOHAIJO
石造西行法師座像:西行が崇徳上皇を詣でた際に腰掛けたと云われる石に安置されている。傍らに西行「よしや君むかし乃玉のゆかとても かゝらんのちはなにかハせん」がサヌカイトに刻まれた歌碑がある。崇徳天皇白峯陵遥拝所:拝殿の向かって左奥にあり。上皇「濱千鳥あとは都にかよへども身は松山に音をのみぞなく」の歌碑が正面の柵の中にあり、左脇に県指定文化財の頓証寺型石燈籠がある。
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玉章(たまずさ)の木TAMAZUSANOKI
崇徳上皇がほととぎすの鳴き声に都を偲び、和歌を詠んだところ、ホトトギスはその意を察し、嘴に木の葉を巻いて声を忍んで鳴いたといわれる。その巻いた葉が玉章(手紙)に似ているためほととぎすの落とし文、玉章と呼ばれその葉を懐中すれば必ずよい便りがあるといわれ殊に珍重されている。現在の木は古の玉章の木を偲んで植樹されたもので、古木は香川県五色台少年自然センターに寄贈されている。
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モミの木(県指定保存木)MOMINOKI
通常モミの木の成長限界は約30mとされているが、当山の樹高は約35m、胸高幹周約3.5mあり生育に適した環境下だったため通常より大きく成長したと推察される。昭和54年(1979年)2月27日に県の保存木に指定される。
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白峯五社稲荷社SHIROMINEGOSHAINARISHA
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九社明神社KUSHAMYOJINSHA
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十三重石塔2基(重要文化財)JUSANJUSEKITO
白峯寺境内に至る道沿いに2基1対で造立されているもので、香川県最大規模の層塔である。源頼朝が崇徳上皇の菩提のために建立したと伝えられ、東塔は総高5.90mの花崗岩製で弘安元年(1278年)建立、西塔は総高5.62m火山礫凝灰岩製で元亨4年(1324年)建立。
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白峯御陵SHIROMINEGORYO
日本の第75代天皇である崇徳上皇が眠る墓所である。平安時代末期の1156年(保元元年)に貴族の内部抗争である保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐に配流後は讃岐院とも呼ばれた。参道は門前トイレ裏の階段からと白峯寺境内の玉章の木の後ろから向かうことができ、頓証寺殿の後方にあり、陵形は方丘である。拝所内の前方一対の石燈籠は松平頼恭奉献、後方一対は松平頼重奉献である。また拝所下段右側に源為義(花崗岩製)、左側に源為朝(凝灰岩製)の供養塔が建っている。毎年9月21日に御正辰祭(ごしょうしんさい)の儀が執り行われ、だれでも参拝することができる。
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摩尼輪塔と下乗石(県指定文化財)MANIRINTO AND GEJOISHI
ここから先は聖地であるゆえどんな高貴な者でも乗り物からおりて自分で歩いて参拝しなさいという印。根香寺に向かう遍路道である根香寺道の途中に摩尼輪塔と笠塔婆形下乗石があり、坂出方面からの参道途中にある白峰展望台付近の広場の中心に笠塔婆形下乗石と一ノ門の裏に摩尼輪塔型下乗石がある。根香寺道途中にある古い摩尼輪塔(県文化財)は小屋で覆い保存し、隣には天保7年3月(1836年)に高松藩が建てた由緒を背面に刻んだ笠塔婆形下乗石がある。また旧参道の1つである神谷道沿いにも笠塔婆形下乗石が残されており、現在は上記を含めた全部で5つの下乗石が現認できる。
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奥之院(毘沙門窟)OKUNOIN(BISHAMONKUTSU)
摩尼輪塔を越えて根香寺道を進むと左側に奉献毘沙門天の文字が刻まれた立派な石灯篭があり、左折し石畳の道を行くと一対の石燈籠がある。更に険しい石段を下って行くと覆屋根があり、毘沙門天立像が刻まれた舟形石が岩窟の中に鎮座している。少々崖を下りるため注意が必要、雨天時は足元に更に注意が必要となる。※徒歩のみ 白峯寺より約15分 。また近くに無名の滝があり、滝音が聞こえる。
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稚児ヶ滝CHIGOGATAKI
白峯寺前と白峯陵の前を通過する青海川の支流で、稚児ヶ嶽より流れ落ち大雨の後は約100mの落差の大滝であるが、普段は湿っている程度で水量が少ないため、幻の滝ともいわれる。伝説として、昔このあたりに悪魚が出て困っていた際に、景行天皇は日本武尊(武皷王とも)と88の兵士を派遣し退治したが、魚の毒気に当たった兵士達は倒れてしまった。その時、白峰山から神童が現れ持参した瓶に入った水を飲ますと皆蘇った。その神童が飛び帰ったのが稚児ヶ嶽といい、そこから稚児ヶ滝と名付けられた。
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白峰園地SHIROMINEENCHI
この付近一帯は元々白峯寺の塔頭である西之坊があったが時代と共に衰退し、現在は白峰園地として整備されている。園地内には瀬戸内海が一望できる白峰展望台、公共トイレ、初代坂出市長像、自彊術創始者記念碑と石燈篭、下乗石があり、春は白峯寺の参道と合わせて多くの桜が満開を迎える。
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根香寺道(史跡)NEGOROJIMICHI
香川県には約185kmの遍路道があり、その中でも第81番札所白峯寺から第82番札所根香寺に至る遍路道「根香寺道」は、五色台にまたがる舗装されていない山道であり、道沿いには道標、丁石も数多く残っており、歴史的な景観を現在も良くとどめている。「根香寺道」は歴史的には江戸時代前期まで遡ることができ、景観面でも昔の状態を良く残していると考えられるため、その価値を認められその一部が平成25年(2013年)10月17日に国の史跡に指定された。
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西行法師の道SAIGYOHOSHINOMICHI
崇徳上皇が讃岐で没して3年後の仁安3年(1168年)に西行法師が崇徳上皇を偲んで御陵を詣でたとされる。青海神社から白峯御陵までの道のり約1.34キロを「西行法師の道」として平成15年(2003年)に新たに整備したもの。道沿いには西行法師や崇徳院に因んだ歌を刻んだ歌碑88基と石燈籠93基が設置されている。